受容力ではない?-多様性という言葉の本当の意味

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こんにちは!
株式会社LIFE PEPPERのMJ(エムジェイ)です。
最近海外ニュースにアンテナを張るようになりました。
今回は前回投稿した記事と関連が深そうで、なおかつ考えさせられる記事があったので、それについて書こうと思います。それはズバリ、「多様性」についてです。

>>参考:前回の記事

2つの事例

・6月22日、シリア東部デリゾール県で、イスラム国(IS)が、ラマダンの昼間に食べ物を口にしたとして、少年2人の手首を縛り、はりからつるす懲罰を与えたことがわかりました。
・ウガンダでは呪術殺人が横行しているそうです。「議員に当選するために『子どもを生贄にしなさい』」などの言葉を信じる人が呪術師に殺人を依頼していることが主な原因です。
※ウガンダはイスラム教中心の国ではありません。

>>ラマダン中に食べた少年2人を処刑ーISIS(IBTimes)
>>富と権力求め子どもをいけにえに、ウガンダで横行する呪術殺人(AFP)

多様性は軽い言葉ではない

これらの例を見ると、現在グローバル社会の中でキーワードになっている「多様性」という言葉、実際は軽く見てはいけない非常に難しい言葉だとわかります。

なぜかというと、例えば「多様性がある人=受容力がある人」と見ると、多様性がある人間というのが、懲罰を下す人、呪術師、呪術を信じる人、すべてを受け入れられる人間、ということになってしまうからです。

一般的に言われる多様性は「他国の文化を受け入れる」や「宗教的な信条を尊重する」など、「受け入れる」というところに重点を置かれています。しかも少し抽象的でどういうことかわかりません。このような曖昧な概念のもとでは、上のようなありえないことも言えてしまうわけです。

多様性を持つこと

そこで立ち返ると、人それぞれ自分の中には独自の判断基準があり、信条があり、それに基づいて判断をしているという前提があります。
例えば「郷に入れば郷に従え」という言葉。よく多様性と一緒に出されるこの言葉にも、先の前提があると思います。つまり、その土地のやり方、習慣がすべて人道的なものであるという前提です。今回の2つの例はその前提を考えさせられる記事でした。

人道的か非人道的の判断すらも異なる中で自分の基準は何か、相手の基準は何か、を見極めていくこと、その経験の中でしっかりと軸を持った多様性ができていくのかもしれませんね。

株式会社LIFE PEPPERでは

弊社には帰国子女、純日本人、老若男女、さまざまなメンバーが活動しています。その中でズレを感じることは実際あまりありません。日本人同士のズレと同じ程度という印象です。日本が平和だからなのか、本当はあるけれど見えないだけなのか…。私もまだまだ学ぶことがありそうです。

>>参考:今までの記事

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